マインドフルネスや禅と武術の深い関係について

マインドフルネスと禅と武術のアイキャッチ画像 武術・護身ブログ

近年ではIT企業をはじめ、ビジネス界の最先端をいく経営者の中に、マインドフルネス(Mindfulness)を実践している人が多いと聞きます。

マインドフルネスとは、「今、この瞬間」に意識を向け、自分の心や体の状態を価値判断せずに観察すること、といえます。そのための主なやり方として、瞑想を行うのです。

ちなみに、八光流柔術自体も「相手と対しながら動く瞑想」になり得ると思います。

さらに、八光流柔術に伝わる「護身体操」は一人で自分の内面と向き合えるため、瞑想的にも取り組みやすいでしょう。

護身体操については、記事『八光流柔術に伝わる「護身体操」とは?』をご参照ください。

八光流柔術に伝わる「護身体操」とは?
八光流柔術には、武技だけでなく、東洋医学の経絡けいらく理論に基づく「護身体操」や「皇法指圧」が伝えられています。今回は主に、奥山龍峰・初代宗家が創案した「護身体操」と、その背景にある「武医同術」の思想についてご紹介します。奥山龍峰・初代宗家…

マインドフルネスは、仏教の瞑想、特に「念(サティ)」の考え方に由来しており、現代では心理学や医療、ビジネスなどにも取り入れられています。この「念」とは、「気づき」と考えるとわかりやすいでしょう。

「念」という漢字は「今」+「心」と書くことから、常に「今」という瞬間に「心」を置くことの大切さを示しています。

ただ、瞑想や坐禅を行なってみたけど、どうしても雑念が拭えないという人は多いのではないでしょうか。

しかし、とめどなく雑念が湧いてきても問題ないのだそうです。その都度、雑念に「気づき」、そこに意識をもっていかれないようにし、常に自分と世界を客観視していくのがマインドフルネスの第一歩となります。

マインドフルネスは、2007年頃からアメリカのGoogle社で社員研修に採用されたり、名門大学の講義で教えられ始めました。

そして、2015年頃からは日本でも急速に注目を集めるようになったのです。

そのきっかけの一つとして、2015年3月に私が編集した書籍『日本一わかりやすいマインドフルネス瞑想』(松村憲、BABジャパン)が多少なりとも貢献していたとすれば、編集者冥利に尽きます。

書籍『日本一わかりやすいマインドフルネス瞑想』

この本の編集を担当するまで、私はマインドフルネスの存在を知りませんでした。しかし、禅や瞑想についてはなぜか10代の頃から興味があり、人間の潜在能力発揮や、より良い人生を送るための鍵になると想像してました。

また、幼少期から武術への興味もあったため、自然な流れで禅や瞑想と武術の関係に意識が向いていったのです。

10代後半から30代半ばまでは激しく闘う武道にも取り組んでいましたが、同時に静かに心身を整える武道の方向性も求めていたように思います。そこで、空手の組手試合に臨みつつも参禅会に足を運んでいました。

空手と八光流柔術の関係については、記事「空手との併修にも、八光流柔術は最適だった」をご参照ください。

空手との併修にも、八光流柔術は最適だった
空手や拳法を長く学んできた私にとって、八光流柔術はまったく異質でありながら、不思議なほど自然につながる武術でした。特に千唐流ちとうりゅう空手道とは、医術と武術の融合や「柔」へ向かう考え方など、多くの共通点があります。今回は自身の経験をもとに…

日本の歴史を繙くと、禅と武術の関係は、まず鎌倉時代に武士階級で臨済宗の禅が流行したことが挙げられます。

そして江戸時代初期には、沢庵宗彭たくあんそうほう禅師(1573〜1645年)が柳生新陰流の柳生やぎゅう宗矩むねのり(1571〜1646年)に向けて禅の教えを説いた書『不動智神妙録』が有名です。

幕末でいうと、剣禅一如を体現し、江戸城無血開城にも尽力した山岡鉄舟の存在が大きいでしょう。剣と禅で大悟した山岡鉄舟による書『剣禅話』は、何度も読み返したい一冊といえます。

近代では、名著『剣と禅』(大森曹玄)、『弓と禅』(オイゲン・ヘリゲル)からも、武術と禅の一致が窺えます。特に『弓と禅』は、西洋人の視点から日本武道の本質や禅の心に迫っており、武道家なら必読の書といえるでしょう。

そこで、空手と禅をテーマにした一冊もあるべきだと考え、2014年当時、筑波大学准教授で身体心理学とマインドフルネスの気鋭の研究者であった湯川進太郎先生(現在、白鴎大学教授)にご執筆いただき、編集を担当した書籍が『空手と禅』だったのです。

書籍『空手と禅』

湯川先生は当時から糸東流空手道の六段位であり、太極拳の修練を経て、現在は杖道の三段(大会でも優勝歴あり)も保持する武道の熟達者でもあります。

なお、この本の巻末には、東大大学院で心理学を専攻し出家してアメリカで禅を指導した藤田一照いっしょう氏(曹洞宗僧侶)と、湯川先生の特別対談も収録しています。

歴史を振り返れば、鎌倉時代の武士が取り組んだ禅は、主に臨済宗だったようです。その後の沢庵禅師、山岡鉄舟、大森曹玄の場合も、武術と禅の関わりでは臨済禅がベースになっていました。

臨済禅では、悟りを求めるにあたって坐禅と共に「公案」といわれる通常の論理や知識だけでは解決できない課題に取り組む修行をするそうです。いわゆる「禅問答」のようなもので、論理的な思考を超えた境地に至る方法でしょう。

一方、曹洞禅では「只管しかん打坐たざ」といって、思考から離れ、ただひたすら坐る坐禅が中心だといわれます。

どちらも、本来的には何らかの利益を得る手段として行うものではないかもしれません。しかし、人生や武術の真理に迫るうえで有効であることも確かでしょう。

多くの現代人は、仕事や生活の中で常に考え続けることを強いられ、悩み疲れ、ストレスを抱えていると思います。また武術稽古においても、深く思考することは上達するために欠かせないでしょう。

つまりある意味で、答えの出ない問題に取り組み続けているわけです。それは、まるで公案のようです。

そんな現代人にとって多くの場合、思考から距離を置いてありのままを捉える「只管打坐」の方向性が適しているように、私は感じています。

武術でも、動きに思考を介在すると遅れをとってしまいます。危急の事態にも自然体と平常心で「ただ動けば、それが技になる」という状態を目指したいものです。

そのための道筋が、八光流柔術にはあると感じています。

いつも悠然と相手や状況を受け入れ、整った姿勢と呼吸を保つこと。坐禅も身体の中心を感じて呼吸を整えるので、まさに通じているようです。

悠然とした姿勢と心を保つことについては、記事「技が掛からない時は? 武術の構造を見直す」もご参照ください。

技が掛からない時は? 武術の構造を見直す
技が「掛かる」or「掛からない」――その分かれ目は、技術以前の「構造」にあります。相手と向かい合った時、自分はどう在るべきか。護身道である八光流柔術の大前提を、わかりやすく解説します。技のコツ以前に知っておくべき相対的な構造多くの人は武術や…

そうなることで、常に相手から「先せん」を取れ、相手が動く前でも後でも同時でも、抑えることができるのです。

そして究極的には、感性を磨くことで日々の行動で最適な選択をし続け、「そもそも危険な場面に遭遇しなくなる」というのが、護身道として八光流柔術が目指すところだと考えます。

このようなあり方は、記事「なぜ、八光流柔術では試合を行わないのか?」にも書いていますので、ご参照ください。

なぜ、八光流柔術では試合を行わないのか?
一般世間では、格闘技、武道、武術、護身術は似たようなものと認識されているかもしれません。例えば、空手のことを格闘技といったり、空手を護身術として紹介されることも見受けられます。それぞれ重なる部分が多いため、必ずしも間違いではないでしょう。そ…

八光流柔術の魅力は、実際に身体で体験してこそ伝わる部分も多くあります。
護身道シブヤは、初心者の方にも安心して参加していただける少人数クラスで行っています。

稽古の体験希望、または質問などは、下記フォームよりお気軽にお願いします。

あるいは、InstagramやFacebookからのメッセージ等で、お問い合わせをいただいても大丈夫です。

ご返信は、翌日か、遅くとも2〜3日以内にさせていただきます(送受信のトラブルがない限り)。