一般世間では、格闘技、武道、武術、護身術は似たようなものと認識されているかもしれません。
例えば、空手のことを格闘技といったり、空手を護身術として紹介されることも見受けられます。
それぞれ重なる部分が多いため、必ずしも間違いではないでしょう。
そして、格闘技、武道、武術、護身術の違いについてよく考えることは、護身道・八光流柔術の理解や実技のレベルアップにもつながると思います。
今回はそれらの違いについて、「試合の有無」に触れながら書いてみたいと思います。
格闘技は試合ありきの過酷な競技
まず、格闘技というものは、試合ルールに基づいた競技といえます。
代表的なものに、ボクシング、キックボクシング、レスリング、総合格闘技(MMA)が挙げられます。
ルールがあり審判がいるからこそ、一定程度の安全性を確保したうえで、磨いた闘争技術を全力で競い合えます。
なんといっても格闘技は人類の根源的なスポーツであり、肉体同士のコンタクトとともに本能やプライドもぶつかり合う、エモーショナルで魅力的な文化です。
また、予め試合の日時が設定されているため、その時までの心理的プレッシャーやトレーニングの追い込みは、過酷さを極めるものでしょう。
そして、試合後は大小の怪我とともに勝者と敗者のコントラストがはっきりと分かれ、光と影となって現れます。
だからこそ、そのような覚悟を持って臨むすべての選手は、試合の場に立った時点で讃えられるべきだと思います。
武道は人間形成の道で試合もある
次は、武道について考えてみましょう。
日本武道協議会では、「武道」を下記のように定義しています。
「武道は、武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、人間形成の道であり、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道の総称を言う」
日本武道協議会としては、上記のように9つの武道に限っています。
しかし、もう少し広く、かつシンプルに捉えると「日本の武術を通じた人間形成の道」と考えるのが良いかもしれません。
また、柔道、剣道、空手道など、ルールを設定して多くは試合競技化されています(合気道など試合がない武道もあります)。
競技化によって、競技人口の増加やルール内での技術進化を生むメリットがあります。
しかし、試合での勝利第一主義に陥り、武道の本質から離れていくリスクもはらんでいるでしょう。
格闘技とスポーツ武道については、記事「古武術・スポーツ武道・格闘技と違う、八光流柔術の存在意義」もご参照いただければ幸いです。
武術は試合が不可能な殺傷技術
そして、武術とは何でしょうか。
武術は武道の技法的なベースになっており、元々はルールなき闘争の技術といえます。
柔道のベースは古流柔術、剣道のベースは古流剣術です。
勝てば生き残ることができ、負けることは大怪我を負ったり命を落とすことで、状況次第では引き分けもあるかもしれません。
いずれにしても命懸けで戦うための技術であり、幸いなことに多くの現代日本人にとって必要に迫られてはいないでしょう。
なお、最新の武術といえる軍隊格闘術については、記事「実戦的な軍隊格闘術と比べて、八光流柔術は使えるのか?」をご参照ください。
武術は原則として相手を殺傷する方法であり、時代背景によって求められた手段といえます。
現代の社会倫理的には、このようにルールがなく生死をかけた武術の技法を、そのまま実行して試合をすることは不可能です。
武術では、あらゆる武器の使用が想定され、体格差を問わず、むしろ不意打ちや情報戦が有効といえます。
理想をいうならば、敵を作らない関係性づくりが最強なのでしょう。
護身術は現実的に使えるのか
最後に、護身術についてです。
護身術は、武術のように相手を殺傷する目的はありません。
もし何者かが、自分や自分が守るべき人を襲ってきた場合に、対応するための方法となります。
もちろん、実際問題として簡単に使える技術ではないかもしれません。
迎え打つがごとく、こちらも武術のように激しい攻撃の意図を持って応じたほうが、結果的に身を守れるという考えも十分すぎるほど理解できます。
だからこそ、殺傷技術である武術を学ぶにあたっては、人格形成の大切さも言われるわけです。しかし最後は、個々の良識に任される部分もあります。
護身術は多くの場合、現実の過酷な状況との乖離を否定できないでしょう。とはいえ本来的には、誰かを殺傷する技術ではなく、平穏な暮らしを保つ方法こそ、多くの人が望むもののはずです。
護身術では、自ら相手を攻撃する目的がないため、最初から攻撃側と防御側に分けない限り、試合は成立しません。
役割さえ分ければ限定条件での試合は可能でしょうが、攻撃役がそれなりの能力を備えていることと、安全上のルール設定は必須といえます。
ルールを設定すると、どうしてもルール外の技術や意識が欠けていくジレンマがあります(もちろん、ルール内で全力を尽くすことは絶大な経験値となるでしょうが)。
そのため、多くの護身術では、攻撃役の「掛け(受け)」と、それに対応する「取り」に役割を分けて、型稽古を行います。
八光流柔術は危険に遭わないための護身道
八光流柔術も、試合や乱取り稽古を行わず、型稽古を中心とした護身術です。
また、護身術であるとともに人間形成を目指した武道でもあります。初代宗家が八光流柔術を「護身道」といったのはそのためでしょう。
攻撃心を持って前のめりに向かってきた相手に対し、敵対心を起こさず心乱さず、自然で整った姿勢を保ってこそ、有効な技術体系となっています。
こちらは「逆に倒してやろう」という気持ちを起こさず、無理な力を入れないことが、技を成立させる上で必須なのです。
そして、心地よい痛みを与え、動きの展開とともに相手からも攻撃心が消滅していくことを目指します。それが必然的に、人間形成にもつながるわけです。
そのような稽古を続けると、いつも周囲の人や環境に対する感覚を磨くことになります。
危険な状況になる前に、無意識に察知して、自然と最適な行動を取れるようになるのです。
すると、そもそも護身術が必要な場面に遭遇しなくなるでしょう。
このように、護身術から護身道へ昇華してこそ、本当の意味での護身術になるのかもしれません。
八光流柔術の魅力は、実際に身体で体験してこそ伝わる部分も多くあります。
護身道シブヤは、初心者の方にも安心して参加していただける少人数クラスで行っています。
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